2015年2月5日木曜日

9親父・平井久右衛門の職人時代の仕事

親父は東京品川で屋根葺き職人の修業をした後、椿沢、長岡で職人集団『平久』をやっていた。28才の頃三条の本成寺から依頼を受け多宝塔の屋根を請け負った。更に子供7人を食べさせるために当時流行(現金収入の為)の『銭湯』を起業したが、戦時下だった為空襲で消失し命からがら、親父は仏壇を背負って故郷見附に疎開したと言う。若い兄貴(三男光男兄)は空襲の中寝ていて起きなかったと!親父の話し。その後私が生まれ(昭和22年)再建した大和湯は大家族の歴史を刻んでいった。 私が7歳の時親父は昔の腕を買われ本成寺の本殿屋根を葺き替えることになったのがこの写真。若い時にやった多宝塔の前に親父が居て、写真は長兄久司兄。私は改修のさなか大屋根に一人で放置され親父の作業中、一人で棟の真ん中をまたいでいたが小水が我慢できず、足場を下まで降りる勇気もなく、さらに親父の作業を妨げようものならもっと怖く、結局おもらししてしまった。親父の反対側の屋根面も熱く焼けていて『じゅじゅっ♪♪♪』と音を立てて流れながら蒸発していった。この映像は私の脳裏に焼くついて離れない。 帰り際、参門の足元に職人『平井久衛門』の名が銅板に刻み呑まれてるのを親父が誇らしそうに見せてくれたが、私の頭はうわの空だった。